人には、ひとを思いやる気持ち、大切にする気持ちがあります。
そもそもそれが無ければ、人間社会は動物以下の醜い社会になっていたでしょう。
そうなっていないのは、人にそのような優しい気持ちがあるからです。
良かったですね。
その気持ちは当然亡くなった人にも向けられます。
ですから世間では墓参りをして先祖を「供養」するということが習慣として行われています。
「供養」 とは「あの世」へ行った故人の幸せを願う行為、と説明されています。
ですから「供養」 は前提として「あの世」があると信じている人が行う行為であると考えるのが合理的意思解釈というものです。
では本当に「あの世」があるのでしょうか。
皆さんはどう思いますか。
次のようなことを考えてみましょう。
重たい箱が目の前にあります。
この中には高価な宝物が入っていると説明されます。
みんなそう信じています。
ですからお値段も高いのです。
ということで、多額の費用を払ってその箱を買いました。
ところが中を開けてみると、なんと空っぽでした。
箱だけが重く高価な宝物と称するものは入っていなかったのです。
この例えで高価な宝とは「あの世」のことです。
勿論、買う前に箱を開けて中身を確かめてみることが必要でした。
でも「あの世」があるのかどうかは、箱を開けて確認できるようなものではありません。
もし存在しないものを前提として組み立てられた教えのために、大金をつぎ込んでいるとしたら、それはどういうことなのでしょう。
「あの世」が無いのなら、人は死んだらどうなるのでしょうか。