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■1分で読める プチ・コラム(私の思うこと) jw.org 新しい世界 すぐそこに! A Better World Is Near

連日の猛暑 気候の変化と地球の将来

小型の扇風機を持ち歩いたり、男性も日傘をさすようになったり、夏の様子も以前とはだいぶ異なってきました。

数十年前は夏が来るのを楽しみにしていましたが、最近は連日の猛暑に若干の恐怖も感じるくらいです。

皆さんはいかがでしょうか。

天気予報では統計史上初めてのとか、記録的なとか、苛烈な気候現象が全国的にみられることが報じられています。

勿論これは日本だけのことではなく、世界的な現象です。

人間でも普段穏やかな人が、頻繁に「気性」を荒げるようになると、人として「壊れて」きたのではないかと感じるものです。

地球の「気象」にも同じことが言えるのではないかと思います。

この傾向は地球が環境的、物理的に「壊れて」つつあるのではないかとさえ感じさせます。

このままゆくと、自分の生涯中にはそうならないとしても、次の世代の地球環境についてはあまり良い見通しとはならないでしょう。

地球は本当に危ないのでしょうか。

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「あの世」は本当にあるのでしょうか

人には、ひとを思いやる気持ち、大切にする気持ちがあります。

そもそもそれが無ければ、人間社会は動物以下の醜い社会になっていたでしょう。

そうなっていないのは、人にそのような優しい気持ちがあるからです。

良かったですね。

その気持ちは当然亡くなった人にも向けられます。

ですから世間では墓参りをして先祖を「供養」するということが習慣として行われています。

「供養」 とは「あの世」へ行った故人の幸せを願う行為、と説明されています。

ですから「供養」 は前提として「あの世」があると信じている人が行う行為であると考えるのが合理的意思解釈というものです。

では本当に「あの世」があるのでしょうか。

皆さんはどう思いますか。

次のようなことを考えてみましょう。

重たい箱が目の前にあります。

この中には高価な宝物が入っていると説明されます。

みんなそう信じています。

ですからお値段も高いのです。

ということで、多額の費用を払ってその箱を買いました。

ところが中を開けてみると、なんと空っぽでした。

箱だけが重く高価な宝物と称するものは入っていなかったのです。

この例えで高価な宝とは「あの世」のことです。

勿論、買う前に箱を開けて中身を確かめてみることが必要でした。

でも「あの世」があるのかどうかは、箱を開けて確認できるようなものではありません。

もし存在しないものを前提として組み立てられた教えのために、大金をつぎ込んでいるとしたら、それはどういうことなのでしょう。

「あの世」が無いのなら、人は死んだらどうなるのでしょうか。

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謙虚なふりしてする自慢話

誰でも人から好かれたい、受け入れられたいと思うものです。

それがために、自分をよく見せようとするひとがいます。

でも、まさか子供のように自慢話をすることはないでしょう。

さりげなく自分を下げた話の中に、自分の美点を織り込むのですが・・・。

それがかえって悪印象を与えるということについては、教えられて初めて気が付く場合があります。

心当たりがありますか。

・「新車​買っ​て​から、みんな『乗せ​て​くれ』っ​て​うる​さい​ん​だ」。

・「いつ​まで​たっ​て​も​みんな​から『痩せ​た​ね』っ​て​言わ​れ​て、もう​うんざり」。

仲間が自分と同程度の知能を持っているのだとすれば、不満足感を語ってはいても、このような話は自慢話であるとすぐにばれてしまいます。

直接的に不器用に自慢するより、場合によってはもっと印象が悪くなります。

それでSNS​で​コメント​や​写真​を​投稿​する​とき​に​は、謙虚​な​ふり​を​し​て​自慢​し​ない​よう​に​気​を​付け​ましょ​う。

望んでいたこととは逆の結果が生じます。

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最も多言語対応が進んでいるウェブサイトが紹介する世界的なイベント

戦争、人種偏見、差別や不公平が見られる世の中で、世界的な平和と一致を楽しむ大きなグループがあります。

そのグループが主催するイベントに関するお知らせです。

そのウェブサイトは1,000以上の言語に対応しており、対応言語数においてGoogleやWikipediaをはるかに凌いでいます。

そのことだけの理由でも、一度は訪れるだけの価値があります。

(費用は一切かかりません)

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一生懸命働いたとしても 虚しさが残るだけ?

素晴らしい志を持って一生懸命に働くことは人間社会の美徳の一つです。

私たちの社会はそのような人がいるからこそ何とか維持されています。

ただ志を持ってそうしたとして、ひとはいったいどんな良いものを得るのでしょうか。

私たちの中には生涯使い切ることが出来ないほどの巨万の富を得る人もいます。

望んだ権力をつかんだり、社会的、学問的、芸術的実績を残すひともいるかもしれません。

しかしどんな「成功」をおさめた人であっても、100年もたたないうちに老化してこの世界から消え去ります。

そしてインスタ映えするのは人生の一瞬、ささやかな一コマに過ぎず、多くの場合人生は難儀で満ちています。

これは無視できない厳然たる事実です。

死後どこかで、自分のいなくなった世界を観察することなどできません。

死んだら無になるだけです。

それで夏休みが確実に終わったように、あなたの人生も確実に終わりを迎えます。

その「スケジュール」を無視して一生懸命働いたとして、人生に何が残るでしょうか。

それで人生はただこれだけのものなのだろうか、という疑問は絶えず頭から離れ去らないのです。

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自分を知る方法

たとえ博覧強記であったとしても、自分自身のことは良く分からないかもしれません。

猫は鏡を見て自分だとは分からないらしいです。

人間はもちろん自分だと認識できます。

でも自分がどんな人間なのかは、鏡だけでは分かりません。

それで自分を知るために遠くの土地に旅に出かけたり、一人で人里離れた場所に出かけたりして自分探しをすることを考えます。

でもその目的をこの方法で達成できるのかは多少疑問です。

では自分はどんな人間なのか、自分を知る方法はあるのでしょうか。

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「人は他の人の心の中に自分自身の反映を見る」と言われることがあります。

これは意味が深そうです。

確かに自分と同じ人が目の前にいれば、自分を客観的に見る対象になります。

何でも話せる友達がいるのであるのなら、そのうち交流が深まった結果として、友の心の中にまさに”自分自身”を見る時があるということでしょうか。

それで自分の姿を鏡で見るように、友の心の中に自分自身の内面の反映を見ることが出来れば、自分を知る手掛かりになると思います。

鏡では自分の外見をチェックし、友の心の中には自分の反映を鏡のように見ることが出来るということであれば、人と共に生きていくことの意義が一層深まるというものです。

笑っていても心の痛むことがある

「笑っていても心の痛むことがある」と言われるとおり、人は問題を抱えていても苦しんでいる素振りさえ見せないことがあります。

外面は楽しそうでも、内面では不安や失意のために苦しんでいることがあるということです。

俳優や芸能人など、いつもダンディだったり、体を張ったリアクション芸を披露する様子をTVで見ていると、とても死を選びそうに思えませんが、突然の訃報となることがあります。

なぜ死を選ぶのでしょうか。

精神的な病である場合もあるかもしれません。

家族に問題が生じているのかもしれません。

対人関係に不和があるのかもしれません。

将来に不安があるからかもしれません。

希望が持てないからかもしれません。

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それで人はたとえ笑ってはいても、心の奥底では大きな苦しみを抱えていることがあるものです。

自分の苦しみを話せる人の存在は本当に大切です。

「希望とは白昼夢である」 希望とは虚しい夢か?

「希望に生きる者は空腹に死す」とはアメリカの政治家ベンジャミン・フランクリンが語った言葉と言われます。

希望が単なる非現実的な願いであればそのとおりです。

希望に対する懐疑的な見方は近代に始まったわけではありません。

ギリシャの哲学者アリストテレスは希望の定義を尋ねられ、「希望とは白昼夢である」と答えました。

もし希望が虚しい夢に慰めを求めることにすぎないのであれば、その懐疑的な見方は真実かもしれません。

それで自分の持つ希望の信頼性、どの程度その実現可能性を信じられるものなのか、それが問題です。

希望は根拠がなくとも、プラシーボ効果のように心身に良い影響を与えることがあります。

でも根拠のない希望を求めて生きるなら、砂漠の蜃気楼に惑わされそのうち行き倒れになってしまう、それと同じことが人生で生じるのではないでしょうか。

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インスタ映え 「いいね」を求める気持ちが味わう失意

インスタ映えを求める心の奥底には誰かに認められたいという気持ちがあるのかな。

承認欲求を満足させたい気持ちともいえるでしょう。

確かに仲間や一般の方から「いいね」と評価されることは嬉しいものです。

でもだれも振り向いてくれなかったら、それは残念な気持ちになりますね。

「いいね」が自己欲求充足の主な手段だとすれば、「いいね」がない時の失意は大きいかもしれません。

インスタでの「いいね」は狙うものではなく、結果を楽しめばいいんじゃないかな。

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定年後に“産業廃棄物”だとか“濡れ落ち葉”だとか言われないようにするために

30年,40年と一生懸命に働いてきたのは家族のためであったはずなのに,それが裏目に出てしまうことがあるのです。長年一生懸命に働いてきた一家の大黒柱が,家族から“産業廃棄物”だとか“濡れ落ち葉”などとみなされるのはとても残念なことです。

濡れ落ち葉とは,定年後に何もすることがなく四六時中妻にまとわりつく夫を表わした言葉で,そのような夫を,掃いても掃いてもほうきにまとわりつく迷惑な濡れ落ち葉に例えたものです。

 https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/101993442 

濡れ落ち葉とは定年退職した夫を皮肉る約30年前の流行語です。

一つ前の世代に当てはまる表現かもしれませんが、それでも考えさせられます。

一生懸命働きてきた挙句、勲章がもらえるのならともかく、「“産業廃棄物”だとか“濡れ落ち葉”」ではあまりにも。

それで定年後の異次元な世界に適応不能にならないよう万全の準備をしましょう。

かつて受験勉強をしたように。

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